女性活躍の本質 〜「男性と違う何かをする必要はない」を書いて改めて思うこと〜

昨日、NBA(米国プロバスケットボール)における史上2人目の女性コーチ、ナンシー・リーバーマン女性の発言を元に以下の記事を書きました。内容は、女性の職域拡大の在り方を概観・説明した上で、「女性」として認められることが本来の目的ではないとするものです。

「男性と違う何かをする必要はない」(NBA女性コーチ)は正しいシェアズカフェ・オンライン
女性活躍を4象限で分析してみると 改題 言論アゴラにて転載 (12/16)


書いて改めて思うのは、「女性活躍」がいつの間にか目的になっている風潮です。

本来、「女性活躍推進」は男女共同参画社会の組織バージョン(各論)であり、「女性」であるか「男性」であるか、または「LGBT」であるかは関係なく「尊厳ある個人が個人として機会を与えられ、評価される」世界を作るという大義名分があるはずです。

「女性の強みを活かしてビジネスに貢献せよ」と言われうんざりする気持ちもわかります。保育所・病児保育・学童・長時間労働の短縮等の環境整備も追いつかずに女性に今まで以上に働けという風潮に違和感を覚えることにも共感します。税収確保・市場縮小の補てんとしての女性活躍という側面が見えて経済の道具のように扱われる嫌な気持ちも理解できます。

しかし、この「女性活躍」という政策は女性のみならず、個人を個人として評価されるべきであると考える全ての人間にとって大きなチャンスではないでしょうか。これを、尊厳ある個人として評価される社会、多様性を受け容れる社会作りに利用しない手はないのではないでしょうか。

もちろん、政策批判も大切なことですが、その政策を逆手にとり、一歩でも二歩でも目指す社会・組織作りに近づけて行けたらいいのに…。

「女性活躍に関わる仕事をしています」というと本当によく「女性活躍」に対する違和感・嫌悪感の表明を受けます。
男性のみならず女性からも。

それをとても虚しく感じるこの頃です。



参考記事
2015.12.2 朝日新聞デジタル版「NBA・NFL 女性コーチ奮闘」


 

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