知識の宝庫 / 知の統合

 


 

 

今年より仕事を頂いている会社のベテラン・コンサルに、「弊社の知の宝庫です」と紹介されている。

最初、聞いたときは、(謙遜を抜きにして、また、話半分と聞いたとしても)驚いた。

 

ただ、言われてみれば、経営(学)オンリーの世界に居る方にとっては、社会学や行政学・政治学・法律学の知識や概念を時に援用する私の発言には多少の驚きはあるのかもしれない。その村(学問)にはその村の「方言」や「しきたり」があって、特に深く専門性を探求してきた人間は、そうそう越境はしないのかもしれない。

 

越境はしないかもしれないが、同時に、知の探究を怠らない人間であれば、その知はきっと他の学問と重なっていくだろう。あたかも別の泉が同じ地下水脈で通じるように。

別の学からの概念を提示し、経営とは別の視点から意見を言ったり、説明したりしても理解してくれている(であろう)そのベテラン・コンサルもまた、きっと深い知の穴を掘って、真理にたどり着こうと努力されてきたに違いない。

 

しかし、私から言わせれば、「知の宝庫」は必ずしもほめ言葉ではない。

 

人工知能の発達を待つまでもなく、インターネットという巨大なエンサイクロペディアをもった現代にあっては、「知」をもつこと自体の価値は今後も下降する一方だろう。要は、どこでもつながるデジタルデバイスをもって、ひとこと呟けば一応の知識は手に入る時代だ。「知の宝庫」ではなく、「知の連携・統合」こそが求められる時代になりつつある。

 

実際、先にあげた「学」を学生に教えていたとき、皿の上のパスタのように、ぐちゃぐちゃに混ざりながらも関連する学問同士のつながりがはっきりと見えたときは、ある種の陶酔感を感じた。有機的な知の結合。

 

しかし、その「知のパスタ」で食いつなぐことはできない。変化の激しい現代は、(その変化に対応しようとする社会を相手にするならば)常に自己変革が求められる時代でもある。それは知についてもいえることのはず。

 

逆説的だが、「不安定であることこそが安定的である」時代なのだ。

 

そのためにも、私は今まで以上に深く掘り下げて考え、広く知を求め、統合していかなければならない。

 

「まだまだ学ぶ必要がある」という言葉は、自信がないからいう言葉ではない。薄っぺらな謙遜から出る言葉でもない。

それは、今の時代と切り結ぼうとする人間が吐く言葉に他ならない。

 

後閑徹


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