試論:勤勉さを支えるもの  

今朝、鶯の鳴き声で目覚めました。ブラインドを下ろさないで眠るため、日の出が早くなるにつれ自然と目覚めも早くなる春です。

ここ数週間は新年度に向け、慌ただしく準備に追われる毎日です。電話、メールのやり取りが頻繁になります。

 

新年度の初仕事は百数十人を相手の新人研修です。明日、長崎に発ちます。

 

年度末は、次年度の仕事の準備に追われました。

中でも、16日間で3階層をひとりで担当する働き方改革の研修の存在が大きくのしかかってきました。

本を読み、考え、文章を書き、また考え、としていると、ふと「何か」が足らないような気がしてきました。

そして、その「何か」は、私たちが働く場で成果を上げるための「勤勉さ」の根拠である、という思いが強くなりました。

 

 

ウェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』は、アジアでも南欧でもなく、西欧で資本主義が発達したひとつの大きな要因として、プロテスタント・カルバン派のいわゆる予定説の考え方がある、と分析します。神が世にその栄光を知らしめるために送られた人間は、それぞれに運命づけられた(予定された)人生がある。神の御心は人智の及ぶところではないが、自分が神から選ばれた人間であるとすれば、神の御心に適う行いをしているはずだ、という考えから禁欲的勤勉さが導かれ、その勤勉さが資本主義の歯車を回した…。

 

脳みそにこびりつている私の知識をざっくりまとめるとこのようになるでしょうか。

 

しかし、宗教の雑居性が特色といわれる私たちの社会では、「勤勉さ」の根拠として宗教的価値は中核におかれてはいないでしょう。

 

では、私たちの「勤勉さ」の根拠は何か。

 

今でも、そこここで垣間見られる集団主義的・全体主義的文化態度でしょうか。宗教的信念にも似た仕事に対する個人的使命感でしょうか(私が前職において過労で倒れた原因は、ここにありました)。あるいは、個人的欲求の充足(乃至は個人利益と組織利益の統合?)に求めるでしょうか。

 

働き方改革では、上記のどれもが組織への「滅私」奉公を強いる点で、好ましいことではありません。

 

とすると、私たちが組織内で働く上での「勤勉さ」の根拠を如何に考えるのか…。

それは多様な人材の労働参加を促す以上、個人、組織の関係性の中に各人がそれぞれに見出していくしかないのではないか、というのが私の考えです(今後、変わるかもしれませんが)。

 

働き方改革は、ワークライフバランス・ダイバーシティの実現と一体となる改革です。

個人の事情を組織における働き方に反映させることを求めたのが、ワークライフバランスであり、ワークライフバランスをとれる職場にすることが、多様な働き方をする多様な働き手の確保(≒減りゆく生産労働人口の補填・市場縮小への対策)に繋がります。

 

とすれば、少なくとも、

ヽ匿佑自ら望む生き方を含めた総体としてのキャリア観をより明確に形成し、表明すること(個人の価値観の形成と主張)

△修譴召譴料反イ砲けるビジョン・ミッション(使命)等の存在意義と方向性の明示(組織の価値観の形成)

この2者の調整を図ること(個人と組織の新たな関係性の構築)

が、それぞれに求められるのではないでしょうか。

 

その意味で、働き方改革が、個人の在り方と組織の文化・風土の変革を伴う大変革であることは間違いないように思います。

この観点をなしにしては、「働き方改革=生産性向上・業務効率化」となり、手段が目的にすり替わってしまう危険があります。

 

※以上は、未整理のままに大雑把に提示した試論です。

 また、ここまで遡ることが求められている訳でもないので、仕事の場で提示するつもりもないことは、付言しておきます。

 

・・・・・・・・・・・・

 

さて、仕事に戻ります。

先ほども、遠回しに進捗確認されるような(?/笑)メールが来たばかり。

しかし、やることが多いと、違うことをしたくなるのが人の性、ということで久しぶりにブログを書いてしまいました。

 

働き方改革を支援する側の働き方改革に着手するのは、しばらく先のことです。

 

さぁ、新年度の始まりです。

今日は桜も散りはじめています。

季節が巡るように、変わることを恐れず、変化していかなければ、と思う今日この頃です。

 

 

人材・組織開発コンサルタント

後閑 徹

 

 

 

 

   

 

 


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