全体最適 / マネジメント能力

先日、真っ暗な夜空を町おこしに利用している茨城県旧美和村(現・常陸太田市)にペルセウス座流星群を観に出かけました。
怖いほどの暗闇に怖気づき、少し照明のある道の駅で車外にキャンピング・チェアを出し、たっぷりある時間に浸って空を眺めながら考え事をしていました。
ちょうどHolacracy組織という考えを読んだばかりであったので、組織の在り方にも考えは及びました。
未だ理解が十分とはいえませんが、holacracyはマネジメント層を大幅にカットした自律分散型組織であるようです。


ある戦略・システムを打ち立て実施・定着を図る際、私は大変な苦労をしたことがあります。膨大な時間と労力をかけ、人的軋轢に消耗もしました。そして、多くの人に共通している「ある考え」に気付いた時、愕然としたことを覚えています。

それは、「部分最適の集積が全体最適である」という考えです。

未だビジネス・スクールに入る前、経営学など知らない時のことでした。


専門家・スペシャリストはその思考が狭く・深くなる傾向があります。しかし、これは何もスペシャリストに限ったことではありません。
ある程度の期間、特定の業務を担った者も「現場のことは現場の人間が一番よく分かっている」と考えるようになり、他からの口出しを排除するようになります。このような疑似スペシャリストもまた自分の職分からの発想でモノを見る傾向があります。この傾向は、H・サイモンがいうように「組織は全体として意思決定をしている」ことの現れと捉えても良いでしょうし、セクショナリズムの初期段階と捉えても良いでしょう。

そして、「私の職分(専門分野)は私が責任をもっている。口出し不要」というスタンスの先には「それぞれの部署がそれぞれの責任を尽くしていれば全体として上手く回るはず」という幻想、すなわち「部分最適の集積が全体最適である」という幻想があるように思います。

自らの職分を責任をもって担うのは職務遂行の必要条件ですが、決して十分条件ではありません。

なぜなら、予算、期限・期間、内容の特殊性やお客様の要望、今後の継続的関係への布石、顧客満足の程度、リスク回避と受容etc.…所与の前提のみならず突発的・流動的な様々な要素が絡み合って全体の業務があるからです。
当然、ルーティンでなくなったり、どこかがしわ寄せを受けたり、そのカバーをどこでやるか、全体の中の位置づけをどうするか、そのような諸々の影響を受けて各業務は変わっていきます。
自分たちは自分たちの責任を果たせさえすれば良い、という「部分最適」思考では「全体最適」に至らないことは明白なはずです。



本来、このように内向きになりがちな組織内組織=各部署間の「調整」と部署内への浸透を図るのはマネージャーの役割です。
しかし、マネジメントが十分機能していれば問題はないのかもしれませんが、誰もが管理・監督者に向いている訳ではないでしょう。また、現在、組織はその階層をフラットにして権限委譲するのがトレンドです。つまり、本来のマネージャーの役割が現場に降りてきているのです。
とすれば、当然に全体をみた「調整」も現場で意識しなければならなくなるでしょう。

   ※Holacracyの考えでは、自律的なチームメンバーが自発的に課題の解決をしながら業務遂行する一方で、マネジメントの役割自体が
     変容するようです



ともあれ、組織がフラット化する(≒権限が現場に付与される)トレンドが続いていく以上、全体の流れを読み、自分の業務と他者の調整を図る能力が求められていくのは間違いないのではないでしょうか。

以上は、私が女性もマネジメントの能力を身につけた方が良いと考えるひとつの論拠です。
管理職になるか否かとは関係ありません。女性に限らず組織に働く全ての人間に求めれらる能力となっているのですから。





美和ささの湯 駐車場より臨む夕暮れの空

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