ママが働きやすい職場にするために、今、できること 報告

実施中、実施後のレポートをメンバーの方が撮って、まとめてくださいました。

 

ボスマネジメント、フォロワーシップを切り口にお話をさせていただきました。

女性管理職の方や育休中、小学生のお母さんなど多様なワーキングマザーの方々にご参加いただき、ありがとうございました。

 

いくつかのフレーム(型)でご自分の経験を分析・振り返って頂きました。

慣れないことであったかもしれませんが、いつもと異なる視点から問題をみつめ、課題と解決策を考える経験は、悩んでいる時こそ必要なはず。

 

少しでもお力になれたならうれしい限りです。

 

NPOヒカルエ様 セミナーレポート

 

セミナーの様子


過去との対決 / 転換点 / ヒカルエ ママ&パパ’sカフェ

去る1月20日、予定通り2時間30分のセミナーを市ヶ谷の貸会議室にて行いました。 
ちょうど1年前、東京海洋大学をお借りして実施した際は外部環境の変化予測と生涯賃金や必要費、親・子の起こりうる課題、バイオロジカル・クロック(生物的な身体の限界)などを時系列で一覧にまとめ、それぞれのキャリアを考える内容でした。

今回は人生における転換点を軸にして、ワークライフ・インテグレイション(統合)の考え方と調査研究から出てきた女性の重視する3つの価値観を解説し、参加者自身について考えてもらいました。

転換点は変革期です。この時期、組織では組織構造を変えたり、新しいビジョンを作り共有したりします。同様のことを個人のキャリアを考える際、行う必要があるはず。この変化を曖昧にしていくと過去と対比して現在に悩んだり、新たな環境への準備が疎かになってしまいます。就職・転職・結婚・出産etc.流されるように生きていると大切な転換点=機会を利用することが出来ません。

興味深かったのは、過去と現在の変化自体は参加者全員が認識していながら、そこで何が終わって何が始まったかを明確に意識している方が全くいなかった点です。

実は、この資料を作っているとき、ふと昔読んだ本の中に似た話があることを思い出しました。もう随分昔に読んだ丸山真男が以下のようなことを書いています。
日本人は過去を清算せずに新しい文化・思想・モノを簡単に受け容れる。過去の上に新しいモノがどんどん降り積もっていく。しかし、過去は清算されていないからある拍子に過去がふと顔をだす…。

過去の古いものと新しいものが対決をせずに併存する状態が、現在そこにある課題の解決を邪魔しているのではないでしょうか。
何をどうしたら良いかわからず消耗する状態から抜け出すために、認識すべきこと、決断すべきことを整理する必要があります。この点は、子どもをもち、ワークライフバランスに悩む若い夫婦にもいえることでしょう。

NPOヒカルエ様で実施する2月20日 ママ&パパ'sカフェでもこの点は取り上げようと思います。わかり易く、表現しやすいように様々な手を使っていきます。

どうぞ楽しみにしていてください。

後閑徹  

過去との対決



 

【インタビュー:事例紹介】 待機児童/職場復帰の不安

働く女性の実態を知るために、数多くの女性のインタビューをしてきました。
課題の本質は数字(定量的データ)のみに現れるのではなく、個別の事例を掘り下げることによって見えてくるものもあります(定量的データを否定するものではありません)。

資料としては少し古くなりましたが問題の本質は変わらないであろう事例をここに掲載します。
保育園に入れるかどうかの不安、職場復帰への不安を吐露するインタビュイーの声を、多くの働く方に知ってもらいたいと思います。

まずはインタビュイーに心を寄せて読んでいただけますようお願いします。



インタビュー時期:2014年2月
インタビュイー:28歳 食品メーカー勤務 (第一子育児休暇中)
※なお、以下はインタビューを元に本人語りの形式に加工。プライバシー保護の観点から本人の了解の元、一部加工しているが,
語った言葉・内容は変更を加えていない。

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将来の夢は特になかった。社会学部を選んだのも社会全体を学ぶ中で自分の夢や将来像が見つかればよいと考えたからだ。母親が介護福祉士として働いていたから、ということもあり、社会福祉士のコースをとった。通常の学部の授業以上の単位数が求められて大変だったが充実していた。実習で訪れた老人ホームでの高齢者の方々は皆さん優しく、祖父母を早くに亡くしている私には居心地の良い場所だった。もちろん、二週間程度の短期実習ではわからない大変なことはもっともっとあることは容易に想像がつく。しかし、接するお年寄りは自分には可愛らしく思え、過ごす時間は楽しかった。
 
学生の頃は、社会福祉コースで知り合った10人程の友人といつも一緒だった。おしゃべりをしたり、お昼ご飯を食べたり、遊びに行ったり。その中の4人とは、今でも頻繁に連絡を取り合っている。特にサークルには属さなかった私には彼女たちと過ごした時間が学生時代の大切な思い出だ。
 
いずれ母のように福祉の仕事をしたいと思っている。しかし、就職先として福祉は選ばなかった。
 
就職の際に考えたのは、「家族の幸せに関わりたい」ということだった。住宅展示場の受付のアルバイトをしていた時、自分たちの幸せの形を探して見学にいらっしゃるお客様を見ていてそう思った。仲の良い実家の家族の温かさを大切に思っていたこともあるだろう。そんな家族の幸せは、食卓を皆で囲むことによって実感していたように思う。家庭用食品のメーカーを選んだのは、そんな理由からだった。
 
同期入社は28人。そのうち女性は15人。配属先は東京本社で、量販店を担当する営業だった。数ある営業部門の中でも主力となる課だ。自分たちの課では、5人一組のチームで動く。女性は私一人だ。精肉、鮮魚、青果にそれぞれに合わせた商品を売り込みに行く。そのチームで営業のいろはを教えられた。

仕事は面白かったし、商品の品質には100%の自信がある。お取引先のマネージャーや発注係、クッキングサポート(試食販売でお客様に商品を売り込んでくださる係)の方々とコミュニケーションをとり、信頼関係を作っていく。その中で特に私に求められていたのは、チーム内の女性としてクッキングサポート(ほぼ女性)の方にメニュー提案をしていくことだった。

もともと料理は好きだった。高校時代から付き合っていた現在の夫には、当時からお弁当を作ってあげていたし、家族みんなでおいしいご飯を食べるのも好きだった。その時のトレンドを調べ、旬の食材と弊社の商品を使ってメニューを考案する。自分のメニュー提案がお客様に受けて、ある店舗において3日間で700個の商品が売れたのをきっかけに全チェーン店舗の発注拡大につながったことがある。都内有数の規模を誇るそのスーパーマッケットで発注をしてもらえた時の喜びと感動は今でも忘れられない。

「自分のやっていることが認められた、そして会社に貢献できた。」

その実感が私の仕事のやりがいだ。
 
もちろん、仕事は楽しいばかりではない。自分はお客様とは個人的なお付き合いはしないし、したこともないのに、ある店舗であらぬ噂を立てられたことがある。マネージャーの方からその噂を確かめられた時には、唖然として、そして涙あふれてしまった。そんな目で私は見られていたのか、と思うと心が折れた。自然とそのマネージャーが居ない時に店舗周りをすることが多くなった。店舗の方たちは、「あなたはそんなことをする人じゃないのは皆わかっているから」、と言ってくれたし、同じ営業チーム内でもリーダーからその店舗は行かないで良い、と言ってもらった。つくづく、人に恵まれていると思う。悔しい思いとともに、支えてくださった方々への感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
営業を2年した後で販売促進企画室へと異動(24歳)。10名で、ひとつの部門のpop作製、メニュー開発から営業データの処理、什器の考案まで行う。全国の営業所から集まった400名の前でプレゼンテーションすることもあれば営業から販促のための新企画を求められることもある。職場はアットホームな雰囲気で女性4人、男性6人。繁忙期は21:00過ぎまで残業することもある。

20代女性は自分のみだ。若い感性を提案することが求められていることは十分承知している。男性は皆40代以上で、私の若さにブレーキをかけるような役回りだろうか。時には、古臭いな、と思うこともあるが、今振り返るとバランスの取れた職場だったと思う。

仕事の面では、私の教育係についてくれた30代の女性の先輩社員(既婚・子どもなし)に憧れている。下からも上からも頼りにされ、会社に貢献する、という熱い思いが伝わってくる。私の足りない点もはっきり言ってくれるが嫌味がない。私も先輩のような人間になりたいと思っている。仕事も、この会社も好きだ。私は人に恵まれている。
 
25歳で結婚。夫は機械メーカーの営業だ。高校の頃からの付き合いで、信頼できる人だ。27歳で出産。現在、子供は6か月で育児休暇を取得中だ。
会社は全体で女性が二割程度しかいない。食品メーカーで女性目線が必要だということから経営陣は女性の割合を増やす、と言っているがどうだろうか。同期の女性のうち結婚や人間関係の悩み等から既に6人が辞めている。会社にも知る限りでは、既婚で子供をもちながら働いている女性は5人もいない。

名古屋営業所に転勤になった同期は、地方ではまだまだ営業が女というのは厳しいとこぼしている。私が仕事仲間や上司に恵まれている、というと、そんな場所ばかりではないよ、とやんわりと言われたこともある。時々、男性社員・上司の方々が女性をどう扱ってよいのか、どう育てたらよいのか戸惑っているな、と感じることがある。セクシャル・ハラスメント、パワー・ハラスメントという言葉がひとり歩きしているのが原因だろうか。
 
出産する前は、育休後はすぐに復帰してバリバリ働くものと考えて疑わなかった。大好きな仕事だ。会社には自分を生かす場所がある。

しかし、子供を見ていると少しその気が弱まってきた。
0歳児クラスから保育に入れた場合、2週間以内に仕事に復帰しなければならない。1歳児クラスから申し込んでもほとんど入園することは無理だ。うちの会社では、認可保育園に入れなければ育児休暇を1歳半まで延長できる。しかし、そこまで延長したら、なぜ0歳児クラスから入れないのか、と職場で思われるのではないだろうか。そう思うと自分だけ子供とぬくぬくと暮らしているようで悪いような気がしてくるし、後ろめたく感じる。
一方で、子供の成長を間近で見ていたい、という気持ちがとても強くある。こうやって話しているだけで何故か涙がこぼれてしまう。この子が日々成長していく過程に立ち会いたい。自分で作ったご飯を食べさせたい。人に預けて、人の作ったご飯を食べさせるのは嫌だ。少なくとも小学生の間までは自分の作ったご飯を食べてもらいたい。子供と離れたくない。

 
しかし、仕事を辞めるとなると漠然とした不安もある。会社も自分には大切な場所だ。もっと働きたい。戻れる場所があると思えることは、自分にはとても重要なことだと実感している。子育てだけの人生になったとき、私はそれで良いと思えるだろうか。自信がない。
 
だが、職場復帰して本当に良いのだろうか。時短労働で3歳までは16時に帰れるが、仕事量の調整をしてもらい、自分の(子供の)都合で周囲を振り回すことになるのではないだろうか。家庭を大切にしながら仕事の責任を果たせるのか。それならいっそのこと辞めた方が迷惑もかからず、自分も気まずい思いをせずに良いのではないだろうか。職場に子供のいる女性がいるが、何度か子供の都合で振り回されたことがある。同じことを自分もするのだ。子供をもって働いている女性は会社には極端に少ない。周囲は理解してくれるのだろうか。皆、どう思うのだろうか。
 
0歳児クラスの申し込みはした。考える時間はあと少しだ。
カギっ子だったという同期の女性が、「大丈夫だよ。私は寂しくなかったよ」と言っていた。本当に寂しくないだろうか。母親がいつも家にいた私には想像もつかない。

考え始めると、いつまでも同じ場所をぐるぐる回ってしまう。まるで自分の尻尾を追い掛け回す犬のようだ。どこで決断したら良いのかわからない。夫は好きな道を選んで良い、協力するからと言ってくれている。
夫は、私が出産で里帰りしてから変わった。家事を本当によくやってくれる。この家庭を大事にしたい。

しかし、現実はそううまくいくのだろうか。皆、どうしているのだろう。私はどうしたら良いのだろう。自分は頑なすぎるのだろうか。欲張り過ぎているのだろうか。どんな決断をしたら良いのだろう。
 
「子育ては後悔のないようにね」
最近、義母に言われた言葉が頭の中でどんどん大きくなっていく。
                                                                                    
end

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※著作権を保持します 後閑徹





 

集団浅慮の罠 / 「場」を考える

年末、お誘いを受けて久々に「参加者」としてダイアローグ・セッション(対話の場)に出席しました。テーマは「はたらく」。正直なところ、あまり気のりしないままの参加でした。

組織開発の手法でもあるファシリテーションは、集団浅慮(groupthink)を乗り越えるための手法でもあります。集団浅慮(groupthink)とは、個人で考えるより集団で考えた方が不合理であったり安易な決定が行われることを意味します。対話をするグループのメンバーが様々な理由で自分の意見を言えない、あるいは妥協的で考えが深まらないままの決定をするような場合がそれに当たります。

それを乗り越える手法のひとつがファシリテーションですが、なかなか上手くはいきません。知識のある人間が周囲のレベルに合わせてしまったり、周囲に気を遣い発言できなかったり、言葉にすることが苦手な方は対話の流れに入りそびれてしまうこともあります。

そうならないために「場作り」があります。今回、セッションに参加して「場」というものの構造を再度考える良い機会となりました(その意味で参加して良かったです。特に私が日頃、ともにファシリテーションを学び、実践するグループとは様々な点で大きな違いがあったのも興味深く振り返りました)。

私は当日のファシリテーターが対話の場に介入せず、かなりの時間を同じところを何度も堂々巡りさせていることに嫌気がさしていました。それがその日のイベント説明にあった「対話の中から『意味が立ち上がる』」ための仕掛けなのかと勘ぐったり、話を方向付けようと発言したりもしましたが、深まりそうになるとまた引き戻される、の繰り返しでした。

なぜ、その時、その進め方への違和感を言えなかったのか。それは参加者というよりもファシリテーターとしての視点があまりに強くもっていたことも原因のひとつでしょう。しかし、もうひとつ別の原因があるように思います。


その日のセッションを振り返っているとき、ふと集合表象という概念が思い浮かび、そこから集団の在り方に思いが至りました。

社会学においては「社会」(という集団)の捉え方には大きく2つの系統があります。
ー匆駝礁槝静把握:社会は個人を離れて存在せず、それは個人に還元される ex.ウェーバー
⊆匆饉尊瀟静把握:社会は個人を超越して存在し、個人を拘束する実在である ex.デュルケム

参加者がどのように「場」を考えているのかによりその「場」での発言は変わってくるでしょう。
〔礁槝世里茲Δ法崗譟廚鮗分たちが作り、自分たちが壊すこともできると考えているのか、⊆尊瀟世里茲Δ法崗譟廚聾朕佑鯲イ譟◆崗譟廚帽澗されると捉えるかで、その「場」での振る舞い方は大きく変わってきます。

ファシリテーションの場合には,鯡椹悗掘∋臆奪瓮鵐弌爾納得して議論を収斂させることが求められます。

しかし、実際の「場」は,らスタートし、△悵楾圓垢襪里任呂覆い任靴腓Δ。
自分たちで作ってきた「場」であればあるほど、その「場」を崩す(壊す・違和感の表明をする)ことは難しくなっていくのではないでしょうか。そして、自分の意思を押さえて「場」に合わせようとする。このことが集団浅慮へのはじめの1歩を踏み出していくことのもうひとつの原因であったように思います。

「場作り」は集団浅慮に陥らないために極めて重要ですが、ある程度時間を経て「場」が出来てからにおいてこそ、如何にその「場」を個人に還元させられるか=「参加メンバーが自らの手で場を変化させていくことができるとの実感をもたせるか」、の仕組みが必要であると痛感しました。「場作り」は最初のみでなく、その過程の中が重要である、と。

これが年末のセッションから私が経験から学んだもののひとつです。


異質なものに触れることで違和感を学びに変える。
とても楽しい経験でした。
今年も異質なものに開かれた自分で居ようと思います。


☆☆☆
新年明けましておめでとうございます。
皆さまにとって実り多く、意義深い1年となりますように。
今年は多くのチャレンジをする年とします。ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願い致します。

後閑徹






 

参加ではなく「参画」を!/ 思考の多様性の観点から

先日、ワークショップ・デザインをされた方達からお誘いを受けてリハーサルに参加しました。テーマは「思考の多様性」。

ここで内容を詳しく説明はしませんが、参加して今更ながら実感したことが2つあります。それは、“想(思考の起点)・フレームが各人で全く異なること、∋弭佑痢屮廛蹈札后廚魘νすることの重要性、です。

“想(思考の起点)・フレームが各人で全く異なることについて
その場でもお話させて頂いたことですが、思考の起点とその後の展開(プロセス)には各人のこれまでの経験や形成してきた価値観が如実に反映され、それぞれ大きく異なりました。新たなモノを生み出す際、自分の重要な価値観からダイレクトに考え始める参加者もいれば、与えられた枠を手掛かりに進める者、手がかりを得た後に価値観を反映させる者、連想・想像を積み重ねる者etc.実に様々です。そして、その起点が異なれば自ずとプロセスも変わってくる。それは、あたかも異なる登山口から登って同じ頂上で落ち合うかのような驚きでした。まさに、「え?そんなルートを通ってきたの?」という感じです。

∋弭佑痢屮廛蹈札后廚魘νすることの重要性について
他チームの出した思考の結果(outcome)のみを観ても何のことやらわからない、あるいは浅い理解しかありませんでした。その後、そのoutcomeに次の作業をのせていくのですが全く広がらない。
一方、ともに思考のプロセスを共有してきた元々のメンバーのoutcomeをベースにした場合は、その「先」への飛躍が感じられました。これは、プロセスを共有する過程でその根っこに当たる部分を共に考えてきたからでしょう。思考の広がりと飛躍は、結果のみを共有してきた場合とは比べものにならない程に明白でした。



さて、我々がチームで課題に対する際にこの2点をどれだけ認識し、重視しているでしょうか。
思考のプロセスの違いは出発点の違いであり、個々人の価値観の反映であるとすれば、その結果(outcome)だけを共有したところで出された結果(outcome)への深いコミットメントは望むべくもありません。

また、自分の考える「枠組み」は、他方で文字通り思い込みとなったり広がりを制約する枷(かせ)にもなります。自分の思い込みや枠を超えて思考の広がりを獲得するには他人の思考(起点・プロセス)を知ることが大いに役立ちます。対話をする過程で自分の言葉を探しながら思考を整理し、肯定され、否定され、相手の考えを探り、確かめ、自分の考えの足元を深堀りする。それは書物を読み込むのとは異なる広がりです。

以上から、思考の多様性を自分とグループに生かそうとするなら、課題に対する参加者が対話をする場に「最初から加わること」、すなわち「参画」することが重要となります。既にあるモノに加わる「参加」では限界があるのです。

まずは、主体的に「参画」すること。
幸せなキャリア形成は(組織に属する場合は)組織の成長とともにあります。チームで得る喜びやメンバー相互の信頼、達成感、自己肯定感etc.を自ら実感してみるのも良いものです。一歩踏み込めば踏み込んだだけ、一段階段を昇れば登った分だけ見えてくる景色は変わってきます。




 2016.1.20 働く女性のキャリアセミナー を開催します。残席5名です。



 

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