さくらいろ / ダイバーシティの難しさ

 

昨日、ふと空を見上げると、桜の樹々がほのかに桜色を帯びているように見えました。

そして、30年ほど前に朝日新聞紙上に掲載された大岡信氏のエッセイを思い出しました。毎年、この時期になると思い出すエッセイです。

 

開花を待つ桜の樹皮を削り、煮出して布を染めると心が湧きたつような鮮やかな桜色になると草木染作家の方が教えてくれた。桜の樹は、樹に桜色を蓄え、ある時、一斉にさくら色の花を咲かせるのだ、といった内容だったと思います。

 

昔、匿名でブログを書いていたとき、この話を書いたら、その話は教科書で読んだことがあります、と教えてくれた方がいました。

私が心を震わせたエッセイが、社会に認められたようで、とても嬉しかったことを覚えています。

 

 

開花を待つ

 

先月、滋賀のとある場所で、ダイバーシティ研修を担当しました。研修といっても、400人強の方々を対象に90分でする講演です。

90分という短い時間の中で、基本から説き起こし、単なる理想ではなく、現実に職場で実現すべき課題であることを理解し、行動に移していただけるよう、構成に腐心しました。

 

講演の中で、お伝えしたかったことのひとつは、「多様な価値を受け容れる」ということは、同時に「自らも変容する」ことを伴う、ということです。相手に向き合い、自らに向き合い、お互いに影響し合うことは、決して簡単にできることではありません。特に、年を経て、経験と実績を積んだ方々は、往々にして、相手を自分の色に染めがちなのではないでしょうか。それは、「多様性を受け容れる」のではなく、自分の価値に相手を染めることに他なりません。白に赤とオレンジを足していくと、鮮やかな桜色が出来ます。赤が白を飲み込んでしまえば、赤にしかなりません。

 

多様性を受け容れる、自分の価値と異なるものを受け容れるということは、受け入れるマインドをもつことではなく、「自らも変わる覚悟」をもつことに他なりません。

 

 

 

先日、10数年ぶりにビジネススクール時代の恩師に会いに行ってきました。

既に当時勤めていた大手損害保険会社の役員も退かれ、いくつかの大学やビジネススクールで教鞭をとっておられる恩師が、こんな話をしてくれました。

 

仕事の上で、頼りない人間も、家庭に帰れば誰かの大切なパートナーであり、親であるかもしれない。相手は、そういう責任を負っている人間なのだということを忘れず、育てていかなければいけない。

 

相手も一個の人間であると、真に尊重するには、不断の努力が必要です。そして、相手がどのようなものであれ、まずは、その価値に照らし、自分を見つめることが重要です。

 

桜の樹が心を震わせるような桜色に満たされているように、それぞれの樹がそれぞれの色に満たされています。その色を、無下に扱うことは誰にもできないはずです。

 

ダイバーシティとは、身近な職場で実現する問題なのです。

 

 

後閑徹

 

 


 

 

 


【インタビュー:事例紹介】 職場の男女格差 / 仕事以外に生きがいを探す

働く女性の実態を知るために、数多くの女性のインタビューをしてきました。
課題の本質は数字(定量的データ)のみに現れるのではなく、個別の事例を掘り下げることによって見えてくるものもあります(定量的データを否定するものではありません)。

資料としては少し古くなりましたが問題の本質は変わらないであろう事例をここに掲載します。
インタビュイーの声を、多くの働く方に知ってもらいたいと思います。


まずはインタビュイーに心を寄せて読んでいただけますようお願いします。

 

 

インタビュー時期:2014年
インタビュイー:29歳 金融系 (未婚)
※なお、以下はインタビューを元に本人語りの形式に加工。プライバシー保護の観点から本人の了解の元、細部を一部加工しているが、語った言葉・内容は変更を加えていない。

 

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英語が好きで高校時代イギリスに1年間語学留学をする。そこで初めて難民の存在を目の当たりにし、将来は国際連合やNGOで働くことを考えた。同時に海外に出て、自分が日本のことをあまりにも知らないことに愕然とした。海外に出るには、日本人としてのアイデンティティを確立する必要性があると思った。それまでは海外の大学に行こうと漠然と考えていたが、考え方が変わった。結局、都心にある大学の国際関係の学部に進学した。英語と国際政治・経済を勉強することが将来に必ず役立つと考えたからだ。

 

大学生活は楽しかった。しかし、お洒落な友達と楽しく快適な大学生活を送るうちに、留学先で抱いた情熱が薄れていくのを感じた。自分の収入を犠牲にしてまで、難民支援の最前線に立ったり、生活困窮者に支援をしたりすることができるだろうか。たぶん、無理だ。自分の生活の質を落としてまで難民支援をする姿をどうしても想像できなかった。

 

そうこうするうちに、就職時期が到来した。就職は、接客が好きということと英語を生かせるかもしれないということでホテル業界にしようか、金融にしようか、迷っているうちに現在の金融系機関の一般職で内定が出た。世間的にも通りは良いし、福利厚生もしっかりしている。勉強してきたことも生かせるかもしれない。だが、今となっては、転勤をしたくないという安易な考えだけで一般職を選択したことを少しだけ後悔している。そして、今の会社に入ったことも。

 

22歳で就職。同期は2000人弱。英語力をかわれたのか、最初から本社勤務で国際業務に配属された。オペレーションは単純作業だったが、業務を覚えるのに必死だった。3年後、同部の営業アシスタント・営業管理に配転され、現在まで続いている。好きで得意な英語を使い、直接海外の担当者と交渉することもある。同期の支店の話を聞くと自分はまだ恵まれていると思う。支店では、窓口に座るだけでなく、外回りもし、人員削減の中で業務だけで手いっぱいなのに数字に縛られる。やることずくめで日常業務を回すだけで手一杯なのに口座数を上げるのは大変だ。同期の愚痴を聞くたびに、自分はまだ恵まれているのだ、と思い込もうとした。

 

4年目で昇進希望者への面談に応募した。エリア総合職(転勤なし)になるためにはまず、昇進しなければならない。同期の一般職男性はすんなり進んでいく。いや、むしろ男性は総合職に転換するよう勧められていく。しかし、女性はそうはいかない。面接官の男性から、「すぐに役席になってチームを引っ張る覚悟はあるか」、「結婚、出産してもバリバリと働いて、上を目指すつもりがないなら無理だ」等と言われた。女性の結婚・出産には配慮をしないと言外に滲ませているように私には感じられた。そんな質問を受けるうちに気持ちが萎えていくのが自分でもわかった。マネジメントに興味はない。そもそもエリア総合職は、総合職として専門的な仕事ができるという趣旨だったはずだ。面接途中からは、適当な答えでお茶を濁した。

 

この頃、この組織にいても自分に未来はないと確信した。自分が求めているのは、自分の能力を生かせる機会だ。それがないし、与えられない。仕事にプライドや遣り甲斐を感じている女性もいるだろうが、いろいろな制約もあり、辛さを感じている女性も多いと思う。自分も、会社は自分たち女性をパートに毛が生えた程度にしか考えていないのではないか、と感じることがある。

 

30歳を前に、先のことを考え始めた。そういえば、最近、社内広報で人事部が「育児休暇取得しました」という記事を書いていた。業務が多く、細分化されすぎて自分の置かれている環境とは違うだろう。自分のロールモデルにはならない。こういう記事を読んでも、自分とは遠いところで何かやっているな、という感じしかしない。様々な制度は充実しているし、配慮はしてくれる会社だとも思う。しかし、「制度は作ったけど実際に両立をするのは難しいよね」、という感じではないか。現実に、結婚・出産をして昇進していく女性はごく稀にしかいない。自分の周りには全くいない。そういえば、こんなことがあった。

 

同じ部の先輩が、結婚の報告に行った。すると課長が、「おめでとう」も言わずに、開口一番、「で、辞めるの?辞めないの?妊娠はしているの?」と聞いてきたそうだ。先輩はあきれ果てて泣くこともできない、と言った。

 

また、以前から育児休暇に入る予定の先輩が居たところ、思わぬ妊娠で別の既婚女性も産時有給休暇をとることになった。確かに、一人でも長期に休まれると仕事が回らない。それが二人となると人員の補充でも大変だ。だが、こればかりは授かりもので、仕方ないことだろう。その話を係長に言いに行ったところ「いやー、まいったね」と言われ、頭を抱えられたそうだ。同期は、妊娠して何だか後ろめたい気持ちになったと言っていた。こういう話は女性の間ですぐに回る。そんな話はいくらでもある。

 

自分の10年後、20年後がどうなっているか、容易に想像できる。このままここに居れば、何も変わらず20年後も同じような仕事をしているだろう。何とか今の仕事が続いているのは、英語が使えるから、そして世間的には大企業として名前が通っているからという二点にすぎない。

 

最近、以前にマドリードで観たフラメンコを習い始めた。まだ始めたばかりだが、一歩一歩着実にステップアップしていきたい。踊っているときは自然と何もかも忘れる。自分には欠かせないひと時だ。また、同時通訳の学校にも通っている。やはり自分が好きなのは英語だ。それで食べていけたら良いと思う。残業もあって大変だが、学ぶことは面白い。自分のもっている知識・教養をフルに使う充実感もある。これで食べていけるように頑張ろうと思っている。

 

友達も結婚し始めた。自分もそろそろ結婚したいと考えている。周りは年配の男性ばかりで出会いがない。しかし、大企業だけあって、福利厚生はかなり良い。本音は、結婚・出産し、とれるだけ育児休暇をとり、その間に英語の能力を磨き、能力に自信がついたら退職。そして、子育てしながら翻訳や通訳の仕事をするのが理想だ。

 

 

end

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※著作権を保持します 後閑徹

 

【インタビュー:事例紹介】 待機児童/職場復帰の不安

 

 



 


ママが働きやすい職場にするために、今、できること 報告

実施中、実施後のレポートをメンバーの方が撮って、まとめてくださいました。

 

ボスマネジメント、フォロワーシップを切り口にお話をさせていただきました。

女性管理職の方や育休中、小学生のお母さんなど多様なワーキングマザーの方々にご参加いただき、ありがとうございました。

 

いくつかのフレーム(型)でご自分の経験を分析・振り返って頂きました。

慣れないことであったかもしれませんが、いつもと異なる視点から問題をみつめ、課題と解決策を考える経験は、悩んでいる時こそ必要なはず。

 

少しでもお力になれたならうれしい限りです。

 

NPOヒカルエ様 セミナーレポート

 

セミナーの様子


過去との対決 / 転換点 / ヒカルエ ママ&パパ’sカフェ

去る1月20日、予定通り2時間30分のセミナーを市ヶ谷の貸会議室にて行いました。 
ちょうど1年前、東京海洋大学をお借りして実施した際は外部環境の変化予測と生涯賃金や必要費、親・子の起こりうる課題、バイオロジカル・クロック(生物的な身体の限界)などを時系列で一覧にまとめ、それぞれのキャリアを考える内容でした。

今回は人生における転換点を軸にして、ワークライフ・インテグレイション(統合)の考え方と調査研究から出てきた女性の重視する3つの価値観を解説し、参加者自身について考えてもらいました。

転換点は変革期です。この時期、組織では組織構造を変えたり、新しいビジョンを作り共有したりします。同様のことを個人のキャリアを考える際、行う必要があるはず。この変化を曖昧にしていくと過去と対比して現在に悩んだり、新たな環境への準備が疎かになってしまいます。就職・転職・結婚・出産etc.流されるように生きていると大切な転換点=機会を利用することが出来ません。

興味深かったのは、過去と現在の変化自体は参加者全員が認識していながら、そこで何が終わって何が始まったかを明確に意識している方が全くいなかった点です。

実は、この資料を作っているとき、ふと昔読んだ本の中に似た話があることを思い出しました。もう随分昔に読んだ丸山真男が以下のようなことを書いています。
日本人は過去を清算せずに新しい文化・思想・モノを簡単に受け容れる。過去の上に新しいモノがどんどん降り積もっていく。しかし、過去は清算されていないからある拍子に過去がふと顔をだす…。

過去の古いものと新しいものが対決をせずに併存する状態が、現在そこにある課題の解決を邪魔しているのではないでしょうか。
何をどうしたら良いかわからず消耗する状態から抜け出すために、認識すべきこと、決断すべきことを整理する必要があります。この点は、子どもをもち、ワークライフバランスに悩む若い夫婦にもいえることでしょう。

NPOヒカルエ様で実施する2月20日 ママ&パパ'sカフェでもこの点は取り上げようと思います。わかり易く、表現しやすいように様々な手を使っていきます。

どうぞ楽しみにしていてください。

後閑徹  

過去との対決



 

【インタビュー:事例紹介】 待機児童/職場復帰の不安

働く女性の実態を知るために、数多くの女性のインタビューをしてきました。
課題の本質は数字(定量的データ)のみに現れるのではなく、個別の事例を掘り下げることによって見えてくるものもあります(定量的データを否定するものではありません)。

資料としては少し古くなりましたが問題の本質は変わらないであろう事例をここに掲載します。
保育園に入れるかどうかの不安、職場復帰への不安を吐露するインタビュイーの声を、多くの働く方に知ってもらいたいと思います。

まずはインタビュイーに心を寄せて読んでいただけますようお願いします。



インタビュー時期:2014年2月
インタビュイー:28歳 食品メーカー勤務 (第一子育児休暇中)
※なお、以下はインタビューを元に本人語りの形式に加工。プライバシー保護の観点から本人の了解の元、一部加工しているが,
語った言葉・内容は変更を加えていない。

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将来の夢は特になかった。社会学部を選んだのも社会全体を学ぶ中で自分の夢や将来像が見つかればよいと考えたからだ。母親が介護福祉士として働いていたから、ということもあり、社会福祉士のコースをとった。通常の学部の授業以上の単位数が求められて大変だったが充実していた。実習で訪れた老人ホームでの高齢者の方々は皆さん優しく、祖父母を早くに亡くしている私には居心地の良い場所だった。もちろん、二週間程度の短期実習ではわからない大変なことはもっともっとあることは容易に想像がつく。しかし、接するお年寄りは自分には可愛らしく思え、過ごす時間は楽しかった。
 
学生の頃は、社会福祉コースで知り合った10人程の友人といつも一緒だった。おしゃべりをしたり、お昼ご飯を食べたり、遊びに行ったり。その中の4人とは、今でも頻繁に連絡を取り合っている。特にサークルには属さなかった私には彼女たちと過ごした時間が学生時代の大切な思い出だ。
 
いずれ母のように福祉の仕事をしたいと思っている。しかし、就職先として福祉は選ばなかった。
 
就職の際に考えたのは、「家族の幸せに関わりたい」ということだった。住宅展示場の受付のアルバイトをしていた時、自分たちの幸せの形を探して見学にいらっしゃるお客様を見ていてそう思った。仲の良い実家の家族の温かさを大切に思っていたこともあるだろう。そんな家族の幸せは、食卓を皆で囲むことによって実感していたように思う。家庭用食品のメーカーを選んだのは、そんな理由からだった。
 
同期入社は28人。そのうち女性は15人。配属先は東京本社で、量販店を担当する営業だった。数ある営業部門の中でも主力となる課だ。自分たちの課では、5人一組のチームで動く。女性は私一人だ。精肉、鮮魚、青果にそれぞれに合わせた商品を売り込みに行く。そのチームで営業のいろはを教えられた。

仕事は面白かったし、商品の品質には100%の自信がある。お取引先のマネージャーや発注係、クッキングサポート(試食販売でお客様に商品を売り込んでくださる係)の方々とコミュニケーションをとり、信頼関係を作っていく。その中で特に私に求められていたのは、チーム内の女性としてクッキングサポート(ほぼ女性)の方にメニュー提案をしていくことだった。

もともと料理は好きだった。高校時代から付き合っていた現在の夫には、当時からお弁当を作ってあげていたし、家族みんなでおいしいご飯を食べるのも好きだった。その時のトレンドを調べ、旬の食材と弊社の商品を使ってメニューを考案する。自分のメニュー提案がお客様に受けて、ある店舗において3日間で700個の商品が売れたのをきっかけに全チェーン店舗の発注拡大につながったことがある。都内有数の規模を誇るそのスーパーマッケットで発注をしてもらえた時の喜びと感動は今でも忘れられない。

「自分のやっていることが認められた、そして会社に貢献できた。」

その実感が私の仕事のやりがいだ。
 
もちろん、仕事は楽しいばかりではない。自分はお客様とは個人的なお付き合いはしないし、したこともないのに、ある店舗であらぬ噂を立てられたことがある。マネージャーの方からその噂を確かめられた時には、唖然として、そして涙あふれてしまった。そんな目で私は見られていたのか、と思うと心が折れた。自然とそのマネージャーが居ない時に店舗周りをすることが多くなった。店舗の方たちは、「あなたはそんなことをする人じゃないのは皆わかっているから」、と言ってくれたし、同じ営業チーム内でもリーダーからその店舗は行かないで良い、と言ってもらった。つくづく、人に恵まれていると思う。悔しい思いとともに、支えてくださった方々への感謝の気持ちでいっぱいだ。
 
営業を2年した後で販売促進企画室へと異動(24歳)。10名で、ひとつの部門のpop作製、メニュー開発から営業データの処理、什器の考案まで行う。全国の営業所から集まった400名の前でプレゼンテーションすることもあれば営業から販促のための新企画を求められることもある。職場はアットホームな雰囲気で女性4人、男性6人。繁忙期は21:00過ぎまで残業することもある。

20代女性は自分のみだ。若い感性を提案することが求められていることは十分承知している。男性は皆40代以上で、私の若さにブレーキをかけるような役回りだろうか。時には、古臭いな、と思うこともあるが、今振り返るとバランスの取れた職場だったと思う。

仕事の面では、私の教育係についてくれた30代の女性の先輩社員(既婚・子どもなし)に憧れている。下からも上からも頼りにされ、会社に貢献する、という熱い思いが伝わってくる。私の足りない点もはっきり言ってくれるが嫌味がない。私も先輩のような人間になりたいと思っている。仕事も、この会社も好きだ。私は人に恵まれている。
 
25歳で結婚。夫は機械メーカーの営業だ。高校の頃からの付き合いで、信頼できる人だ。27歳で出産。現在、子供は6か月で育児休暇を取得中だ。
会社は全体で女性が二割程度しかいない。食品メーカーで女性目線が必要だということから経営陣は女性の割合を増やす、と言っているがどうだろうか。同期の女性のうち結婚や人間関係の悩み等から既に6人が辞めている。会社にも知る限りでは、既婚で子供をもちながら働いている女性は5人もいない。

名古屋営業所に転勤になった同期は、地方ではまだまだ営業が女というのは厳しいとこぼしている。私が仕事仲間や上司に恵まれている、というと、そんな場所ばかりではないよ、とやんわりと言われたこともある。時々、男性社員・上司の方々が女性をどう扱ってよいのか、どう育てたらよいのか戸惑っているな、と感じることがある。セクシャル・ハラスメント、パワー・ハラスメントという言葉がひとり歩きしているのが原因だろうか。
 
出産する前は、育休後はすぐに復帰してバリバリ働くものと考えて疑わなかった。大好きな仕事だ。会社には自分を生かす場所がある。

しかし、子供を見ていると少しその気が弱まってきた。
0歳児クラスから保育に入れた場合、2週間以内に仕事に復帰しなければならない。1歳児クラスから申し込んでもほとんど入園することは無理だ。うちの会社では、認可保育園に入れなければ育児休暇を1歳半まで延長できる。しかし、そこまで延長したら、なぜ0歳児クラスから入れないのか、と職場で思われるのではないだろうか。そう思うと自分だけ子供とぬくぬくと暮らしているようで悪いような気がしてくるし、後ろめたく感じる。
一方で、子供の成長を間近で見ていたい、という気持ちがとても強くある。こうやって話しているだけで何故か涙がこぼれてしまう。この子が日々成長していく過程に立ち会いたい。自分で作ったご飯を食べさせたい。人に預けて、人の作ったご飯を食べさせるのは嫌だ。少なくとも小学生の間までは自分の作ったご飯を食べてもらいたい。子供と離れたくない。

 
しかし、仕事を辞めるとなると漠然とした不安もある。会社も自分には大切な場所だ。もっと働きたい。戻れる場所があると思えることは、自分にはとても重要なことだと実感している。子育てだけの人生になったとき、私はそれで良いと思えるだろうか。自信がない。
 
だが、職場復帰して本当に良いのだろうか。時短労働で3歳までは16時に帰れるが、仕事量の調整をしてもらい、自分の(子供の)都合で周囲を振り回すことになるのではないだろうか。家庭を大切にしながら仕事の責任を果たせるのか。それならいっそのこと辞めた方が迷惑もかからず、自分も気まずい思いをせずに良いのではないだろうか。職場に子供のいる女性がいるが、何度か子供の都合で振り回されたことがある。同じことを自分もするのだ。子供をもって働いている女性は会社には極端に少ない。周囲は理解してくれるのだろうか。皆、どう思うのだろうか。
 
0歳児クラスの申し込みはした。考える時間はあと少しだ。
カギっ子だったという同期の女性が、「大丈夫だよ。私は寂しくなかったよ」と言っていた。本当に寂しくないだろうか。母親がいつも家にいた私には想像もつかない。

考え始めると、いつまでも同じ場所をぐるぐる回ってしまう。まるで自分の尻尾を追い掛け回す犬のようだ。どこで決断したら良いのかわからない。夫は好きな道を選んで良い、協力するからと言ってくれている。
夫は、私が出産で里帰りしてから変わった。家事を本当によくやってくれる。この家庭を大事にしたい。

しかし、現実はそううまくいくのだろうか。皆、どうしているのだろう。私はどうしたら良いのだろう。自分は頑なすぎるのだろうか。欲張り過ぎているのだろうか。どんな決断をしたら良いのだろう。
 
「子育ては後悔のないようにね」
最近、義母に言われた言葉が頭の中でどんどん大きくなっていく。
                                                                                    
end

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