巧言令色鮮仁(こうげんれいしょくすくなしじん)

先日、三重県の津に仕事で二泊しました。

法律を学んだ者であれば知らぬ者はいない津地鎮祭事件が起きた津市です。

ホテルから眺める津は、広々とした海と小高い丘のような山がある、とても穏やかな街でした。

  

 

ホテルで、遠い昔、懸命に勉強していた時期を思い出しました。

当時、いくつかの有名な憲法判例が出されました。そこで、伊藤正己最高裁判事のことを思い出し、書いたのが、先日多くの媒体から配信頂いたこの記事「有給休暇の取得を邪魔するモノは、みんなの心の中にある」yahoo!ニュースです。

 

君子和而不同

小人同而不和

 

教養(徳)の高いものは協調するが同調はしない

教養(徳)の低いものは同調するが協調はしない

 

この中から和而不同をとって、伊藤正己最高裁判事は座右の銘とされていました。

 

人間の本質を見抜いた言葉は、経年劣化せずにいつまでも残ります。

 

同じ論語から、

 

巧言令色鮮仁 (こうげんれいしょくすくなしじん)

 

口先だけのお世辞を言い、媚びへつらう者には人間として大切なもの・仁がないものだ。

 

私の周りには何人かこういう人間が居ましたが、彼らを見るたびにこの言葉を心の中で呟いていました。

 

どこ(誰)を見て、何を成し遂げようとするのか。

生きることの美しさをどう捉えるのか。

「私」というかけがえのない存在に価値をおけない人間に、他人を尊重することができるのか。

 

この言葉は、多くの示唆を与えてくれます。

 

 

移動の新幹線や出張先のホテルで仕事をしたり本を読んだりしながら、もの思いにふける時間がこれから増えることになります。

人生の中で久しぶりに訪れる思索の時期なのかもしれません。もちろん、実績を作りながらですが。

 

出来うる限り、その思索の過程や結果を残していくつもりです。

 

後閑徹

 

 

 


 

 

 

 

 

 


知識の宝庫 / 知の統合

 


 

 

今年より仕事を頂いている会社のベテラン・コンサルに、「弊社の知の宝庫です」と紹介されている。

最初、聞いたときは、(謙遜を抜きにして、また、話半分と聞いたとしても)驚いた。

 

ただ、言われてみれば、経営(学)オンリーの世界に居る方にとっては、社会学や行政学・政治学・法律学の知識や概念を時に援用する私の発言には多少の驚きはあるのかもしれない。その村(学問)にはその村の「方言」や「しきたり」があって、特に深く専門性を探求してきた人間は、そうそう越境はしないのかもしれない。

 

越境はしないかもしれないが、同時に、知の探究を怠らない人間であれば、その知はきっと他の学問と重なっていくだろう。あたかも別の泉が同じ地下水脈で通じるように。

別の学からの概念を提示し、経営とは別の視点から意見を言ったり、説明したりしても理解してくれている(であろう)そのベテラン・コンサルもまた、きっと深い知の穴を掘って、真理にたどり着こうと努力されてきたに違いない。

 

しかし、私から言わせれば、「知の宝庫」は必ずしもほめ言葉ではない。

 

人工知能の発達を待つまでもなく、インターネットという巨大なエンサイクロペディアをもった現代にあっては、「知」をもつこと自体の価値は今後も下降する一方だろう。要は、どこでもつながるデジタルデバイスをもって、ひとこと呟けば一応の知識は手に入る時代だ。「知の宝庫」ではなく、「知の連携・統合」こそが求められる時代になりつつある。

 

実際、先にあげた「学」を学生に教えていたとき、皿の上のパスタのように、ぐちゃぐちゃに混ざりながらも関連する学問同士のつながりがはっきりと見えたときは、ある種の陶酔感を感じた。有機的な知の結合。

 

しかし、その「知のパスタ」で食いつなぐことはできない。変化の激しい現代は、(その変化に対応しようとする社会を相手にするならば)常に自己変革が求められる時代でもある。それは知についてもいえることのはず。

 

逆説的だが、「不安定であることこそが安定的である」時代なのだ。

 

そのためにも、私は今まで以上に深く掘り下げて考え、広く知を求め、統合していかなければならない。

 

「まだまだ学ぶ必要がある」という言葉は、自信がないからいう言葉ではない。薄っぺらな謙遜から出る言葉でもない。

それは、今の時代と切り結ぼうとする人間が吐く言葉に他ならない。

 

後閑徹


自治体マネジメント / 女子大でのセミナー

長らく記事を書けませんでしたので、近況を報告させて頂きます。

1月の働く女性のためのキャリアセミナー、2月のNPOでの「ママ&パパ’sカフェ」を終えました。
1月末の段階で、蟾埓マネジメント研究所と自治体の課題を専門に扱うコンサルタント&研修講師として契約を結び、基幹講座である階層別マネジメント研修のテキストの加筆・修正・改訂作業(6章・約180頁)の仕事を請け負い、土日毎にベテランコンサルタント2名とともに話し、書き直し、校正し、と作業を進めてきました。

民間ベースとのマネジメントの考え方と自治体に即したマネジメントでは異なる点も多く、たくさんの知識を吸収させて頂きました。対比することで、両者の理解がより深まったように思いますし、行政学・社会学等の知識やもちろん経営の知識、自分のマネジメント経験も反映させることが(微力ながら)出来ているように思います。
1章ごとの締め切りが短く、完全徹夜して原稿を書き上げるようなこともしてきたこの数か月ですが、わくわくするような学びが続くことをとても嬉しく思うこの頃です。

右肩下がりの時代の自治体においてマネジメント概念の定着を図り、政策形成のお手伝い等諸々をできることは、地域・住民への貢献につながる大変やりがいのある仕事だと思っています。頑張ります。


また、神奈川県内にある某女子大より、女性のキャリアに関するセミナーのお仕事も頂きました。2日間6時間で、インターバルの課題も出す予定です。教材は、慶応ビジネススクールのビジネスケースを使用します。少し難しい点もあると思いますが、知識面はこちらで補いながら、就職だけではなく、キャリアを考える機会をたくさん与えたいと思います。

今後、自治体からの仕事は、全て行政マネジメント研究所を通して、それ以外の仕事は今まで通りRedsign Academiaにてお受けします。

独立・起業2年目にしてやっと軌道に乗りつつあるように思います。

自分の能力を常に向上させるよう懸命に学び、考えながら、少しでも課題解決に貢献できるよう頑張って参ります。
今後とも、どうぞよろしくお願い致します。

後閑徹








 

ご挨拶

2015年もあとわずかとなりました。
私自身はそろりそろりと自分の活動範囲を広げながら内省を深めた1年だったように感じています。

年末から、1月と2月にある2つのセミナー(個人開催とNPOからの依頼)の準備をしていましたが、調べ物をしている際にふと「個の成長」「関係の深まりの中での成熟」という言葉が目に留まりました。「関係の深まりの中での成熟」は、決して楽しいことばかりではないでしょう。時に腹立たしく、時に面倒で、時に傷つくことも関係の深まりの中に起こることです。しかし、そのひとつひとつをまじまじと見つめ、意味づけをしていくことが個の成長に繋がるはず。昨年に比べ、そのような機会が増えたのか否か…。今年の残りの時間に振り返ってみようと思います。


さて、前職を辞し、再始動してからようやく1年が過ぎました。何の営業もせずにお声掛けいただいた仕事のみをしてきた1年ですが、そろそろその時期も終わろうと思います。様々な掛け替えのない経験をする機会を与えてくださった皆さまに感謝しつつ、来年は自分から前に出ていく年にしたいと思います。

皆様、どうもありがとうございました。
どうぞ良いお年をお迎えください。
皆さまにとりましても成長と成熟の機会多く、実りある一年となりますよう祈念しております。


後閑徹



2016年の飛躍を誓って


 

組織とは何か / 再定義の必要性

先日、組織開発に携わる20名の方々と意見交換をする中で、組織の成長経験を共有するセッションがありました。
私自身は、自分のしてきた組織変革への関与の仕方、その時の抵抗とその抵抗に対する自分の考え、してきたことを語りました。

振り返れば、もっと他に上手くいく方法があったのかもとも思いますが、それは経過・結果を知る現在だからこそ。いくらかの自負とともに「今なら」という可能性のお話もさせて頂きました。

参加者の話を聴いて面白いな、と思ったことのひとつに、「個々人がプロジェクトの中でお客様に育てられている。本当にそれで良いのか。組織として学ぶことが必要なのでは?」という話がありました。

確かに。

私もお客様に育てられる、外部との関係性の中で育てられる経験を多くしてきました。
‖舅函瞥住察Υ限)を決められる中で自分たちの強みを最大限生かしミッションを如何に果たすか
△修譴鯑阿すために何をするかを考え、如何に内部の理解を得・浸透を図るか

 お客様との対話の中で自分たちの組織の強み・弱みを考え、その統合を図ることは内部にだけ居たのではわからないでしょう。外部との接触を多くもつ営業が中の人間とぶつかるのは当然すぎるくらい当然です。また、中には中の難しさ(◆砲呂△蠅泙后そちらの方が精神的には厳しいし、社内政治を乗り切らなければならない大変さがあります。

そして、結局´△領省をこなして初めてミッション・クリアーとなるはずですが、お客様からのプレッシャー(,琉賤彖如砲起点となることが多々あることが、先の発言のひとつの原因だと思います。

しかし、そう考えると組織としての成長機会は組織内部に限らないことがよくわかります。外部との接触の中で組織を考え、それを組織内部に浸透させる過程で学習していく。そう考えると、社内政治を重視する傾向がある人間が小さくまとまってしまうのも腑に落ちます。

また、成長機会の大きな起点が外部にあるとしたら、それはそれで組織開発の観点から大きな要素として取り組む必要が出てきます。ましてや、アライアンスを組みながら他者とプロジェクトを遂行する場合にはなおさらのこと。

このように考えていくと組織の境界線はどこにあるのかはもう一度考え直さなければなりません。
そして、境界が変われば、内実も変わる。組織とは何か、についてももう少し考えてみなければなりません。

正月休みには久しぶりに高橋伸夫教授の本でも読み直してみようと思います。







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